2014/02/28

モンスターキャラの役割

 
アイアンナイト1話目の話をちょっと考えさせた。

この作品一番大きな問題は、
コブリンという敵役とモンスター役の扱いと思う。

普通、対人戦は対モンスター戦よりアンケートを取り易い。
読者にとってモンスターは”キャラ”じゃないだから。

と言っても、ただ出せて、暴れて、倒れる物でもない。
それだけじゃ悪役ですらカウントされない。

モンスターの役目は、世界観の表現と緊張感を作るため。
その役目を理解できなければ、作品の魅力が半減する。

そして1話目の話では、殺人犯というキャラの配置が最大のミス。

殺人犯は単なるチンピラで親切な説明役になるのは駄目でした。

殺人犯本当の役目は、敵でも説明役でもなく
1回目の主人公の対比であると思う。

殺人犯でクズ、モンスターになって楽しめる様子と
そして主人公もモンスターになりかけどんどん絶望になったが、
クラスメート残ったメッセージで自我を取り戻す。

この二人はこういう対比の配置で描くべきだった。

もちろん殺人犯は小物の悪者なのでページはあんまりかかれないが
それでもこの図式は成立する必要と思う。
それを出来れば鉄兵のキャラはより輝けると思う。

しかし実際、殺人犯は前半に1コマも無くセリフも無く
後半が出るといきなり親切な世界観説明、説明終わったら負けた。
それだけ。

殺人犯だけではなく2回戦のコブリンも同じ
単なるモンスターで描かれて
ヒロインの役割は良い感じで描いてたが
比べてコブリンの役割はそれほど考えていない。

3回目の菊田はやっとそれらしいの雰囲気が出たが既に遅い。

役割配置の事は序盤の雑魚キャラにも与えなければならない。

そう工夫しないと、序盤の話は盛り上がらない。
序盤の掴みが大切のジャンプではそれが致命傷。

大体の作品はキャラが揃ったから面白いぞと言っているが
それは違う階段の仕事なんだ。

序盤のキャラは”掴み”という仕事をやなければならない。
そうじゃないと3巻目以降の本番に繋げない。

だから作者は雑魚キャラの役目を理解しないといけない。

これは結構考えさせた。

アシスタント集合

ペン入れ20ページまで進めました。

明後日は歴代アシスタントが来る。
久しぶり5人の揃う。
他の知り合いも誘って大体8~9人が来る。

最終回は最後に一緒に描いて、そして打ち上げ。
ああ楽しみ。

2014/02/25

飾りが無い言葉

アイアンナイトの感想。

この作品は、良い意味で”男の子ぽい”。
自分の盾や武器を作る、自分考えた必殺技、
男は絶交しても友達、色んな意味で男の子ぽさが溢れる。

ネームは力不足なので演出面まだまだ足りないけど
この雰囲気が結構良いと思う。

自分的に、ここで言いたいのは”男の考え方”。

今のジャンプは女の読者も積極的に取り込むため
キャラの内面描写はどうしても増えてしまう。

しかし8割くらいの男の子の思考はそうじゃないと思う。
そんなの繊細さはまず無い。
大体でいいんだよ、細かい所はどうでもいい。

だから言葉はどうしても素朴さが目立つ。

このシーンはそれを示せた。
言葉は感じた事をそのまま、ストレートを言うだけ。

正確的にここの会話は鉄兵のロジックはちょっと間違い。
しかし言葉の統整性や正確性の精度はどうでもいい。

男の子なら、大体そんな感じで言うんだ。

繊細さや感性や深さは屁も何も無いが
その代わりに素直さや本能の強さがやってくれた。

盤古を描くの時も同じ感想があった。
内面の描写は多くほどキャラは女々しいのイメージがする。
だから考えて精細な感情を書くより、
ストレートで素朴な気持ちを言い出すの方が好きなんだ。

例えばそれが女の読者に好かれなくでも
男は本当にああいう感じで考えたんだよ。

少年漫画の本質でやっていきたいなら
”女の読者が好きの男の子”を描くではなく、
”本当の男の子”を描くべきと思う。

愚痴

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/4616/jar/guchiron.htm


「私の話を聞いてほしい、でも意見はしないでくれ」

......ああ、これは上手い事言ったな。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88

ディベート(debate)とは、ある公的な主題について
異なる立場に分かれ議論することをいう(広義のディベート)。

反論に関して何かが言えると思うけど
今の所は思い付かない。まあまずメモ。

http://dkrht.com/pleasant/620/
「視点を変えて愚痴を言う本人を褒める」

http://shingekikyojin.net/archives/36598369.html
アニメや漫画の「復讐は虚しいだけ」みたいな言葉が嫌いすぎる

正論を言うのは一番安全だが、あんまり心に響かないだから。

こういう所は魔都篇の見所の1つと思う。

建前ではなく色々本音で言える
危ない所にセーフしました思考はバシバシと考える。

主人公思考のモードを熟知している機甲兵は
王道の逆手を取れる。

機甲兵は仲間も大切する。でも絶望させるの仕方で。

魔都篇では普段主人公側の綺麗な建前じゃどれ程に頼れない、
脆い物として書ける。
色々が抉る。

魔王として機甲兵の立場はディベート” 否定側立論”、
ようなスタンスで行く。

昔に悪魔のエーテルと少し似てる。
しかしエーテルは悪意が無い、ひっそり人間の仲間として動ける
対して機甲兵は悪意が溢れている。

”悪意を持つの詭弁者”。
それは魔都篇の機甲兵のスタンスの1つと思う。

口達者の魔王この時代のライトノベルなら珍しくないだが
俺の場合、強烈な悪意を持っているキャラはマジで珍しい。
これなら良い線で書けそうと直感がする。確信が無いけど。

信仰

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E4%BB%B0

何を信じる。
それは案外に大切な問題。

信念とか心構えとか感情を掴むとかブランドとか。
知名度とか教育とか金とか文化とか、建物とか。

........あの心の貨幣の話を思い出す。

俺達は心をどんな風で扱えているだろう。
大体の人は自分も分かっていないと思う。

一人のスケールではよく見えない。

2014/02/24

本棚

ちょっとこの間にシナリオの話を書く。

1年単位の話を作る時に、よく”本棚”でイメージをする。

この先の5話くらいまで細かいの物語はかなり細部まで書ける。
だがこれ以上に大きく話は、俺もまだよく分かっていないため
とにかくまず”本棚”を作る。

例えば百仙戯の場合は
テーマは”遊園地でモチーフした試合もの”。

百仙戯が始まる半年前にまで
それぞれの試合は決まっていない。

しかし俺は”あの試合は5~10つくらいゲームを使う”事は
確信できるから、”ゲーム”という本棚を作る。

あそこに何かがある。
しかし内容はハッキリしない。

だからとりあえずタグだけ付けて本棚を立て上げる、
連載を描きながら資料を集めて”百仙戯という本棚”に置ける。

そして大体同時に倉頡迷宮に本棚も作る。

実際、BOLGに居る文章は大体こういうタイプ。

読者にとってネタバレになるから
ある程度に具体的な内容を避けてるが
物語作りにかなり助かる。

”そこに何かがある”と分かっているけど、
まだ何かが”ハッキリしていない”時によく使える方法。

この方法の長所は、例え
今より3年先以上のシナリオでも今で考える事はできる。

特に概念的に難しいのテーマは長いの思考時間は必要から
この方法は時間稼ぎにしてかなり優秀。

問題を小切りして、未来という時間にばら撒いて
時間をゆっくりかけて考えよう。時間を無駄しないように。

”何を目指すがハッキリ分からない、ならハッキリするまで待とう”
だけで年単位に思考を止まるのは
人生としてかなりヤバイと思わせた経験が多数。

ああいう人を見ると、何度も”時間勿体無いな”と思った。
だからこういう作り方を見つけました。

霍安と黃雷

霍安と黃雷の絡みは少ないだよね。
言われるとそうだなと思った。

ほぼ同時期に登場、そして同じくらい人気が持つ
出番の多さも大体同じ。
そして相性の意味ならこの二人は絡むと結構面白いのに
一緒に戦う、会話する、一緒に何をやろうイベントは少ない。

そりゃ、物語構成のせいでしょう。

初登場の頃ならともかく
黄雷はすぐに盤古と一緒に行動するなので
霍安との絡みは無くなった。

科挙篇では黄雷は百仙戯の担当、
霍安は倉頡迷宮の担当、
それぞれ見せ場はバラバラしてた。

月牙泉武挙は二人ともあんまり出番がない。
混沌創世では霍安の伏線回収に専念したから
黄雷の出番は限られてた。

実際、混沌創世に限って
黄雷はレギュラーに一番に役に立たないキャラになってしまった。
あの闘いだけなら守芬や魯泉でさえ黄雷より目立つ。

黄雷は描ける素材まだ結構残るけど
伏線の意味ではレギュラーに一番早いに回収完成したキャラので
全体的に12巻以降は影薄いキャラになった。

本当なら4回戦の武挙は1回くらいメインになる予定があるけど
肝心の盤古戦は2回ほどカットされたので
黄雷の出番もその分に減らせてしまった。

結局に物語の意味では霍安と黃雷は描けなかったけど
キャラ掛け合うの意味なら、この二人まだまだ可能性は残る。

この夢はこの先に持っていく。

下書き描く

....思ったよりやや遅い。今の所は21ページ。
出来ればあと1日で終わらせたいけど無理かも。

最終回だからゆっくり描きたい。味わいたい。
でも締め切りはそれほど余裕はないかも。
35ページだし。

たくさん思い出が溢れる.....はずだけど
意外に今の所まだだよね。

そりゃ、色んな意味では終わると実感は無いだし。

物語の意味ではなく
この先に自分の未来の意味。

一段著落のところが
先は待っている事項はかなり多いだから。

この10年は本当によく働いた。
特に父さんが倒れたあとの6年、厳しかった。
1日以上の旅なんて全然しなかった。

正直、連載が終わったあと2週くらい旅に出たい。
しかしまだどこに行くのは分からない。

まだそんなの気分じゃない。
まあ、3月から考えればいいだろう....

2014/02/23

クリポー

”ボクの事を秘密してくれば、まだ来る。
誰に言うと、もう来ない。キミもボクを忘れる。”

2014/02/22

下と上

138章に廃棄されたエピソード。
盤古は魔都の概念を提出したシーン。

”神の支配『下』は、妖怪の『上』と限らない。”

このシーンの概念(神のルールと妖怪のルールの性質は違う)は
こんなシンプルな絵で示せる所が結構よかったと思うけど、
あそこがこれを描いてしまうと伏線として出しすぎ
どうしても魔都篇の前振りしか見えない。だからカットするしかない。

今まで盤古ならこういうセリフは言えない。
こういう概念の裏に実は”両面性”を含めているので
考えは本当に単純な人がそういう思考はしない
ちょっと危ない感じがする。

盤古は”何かが変わった”という雰囲気が匂わせるシーン。

しかしこんな風に描くと上手く收拾付かない。
だから実際の載せた内容は
できるだけ穏便に”今まで通りの盤古”として描かされた。

リーダーシップとカリスマ性

http://blog.livedoor.jp/ffsyuji/archives/21573858.html

カリスマ性はリーダーを破滅させる。
柔軟性を奪い、不滅性を妄信させ、変化不能とする。
スターリン、ヒトラー、毛沢東に起こったことがそれだった。
アレキサンダー大王が敗者とならずにすんだのは、
早世にしたからにすぎないことは古代史の定説である。


カリスマ性はあくまでも”人の感情を動かせる”の力。
だから客観的に事務を処理と限らない。

http://gigazine.net/news/20131217-3-elements-of-charisma/

ある意味、この文章を読めれば分かる。
カリスマ性は人を自分に気分良く”信じさせる”事。

どちらで言えば宗教のやり方に近い。

リーダーシップは信じさせる以前に
”正解を示す”という方向性が優先する。

それは違う事と結構経験した。
魅力がある人は何を言っても信用を得るだが
割りと理性の思考で正しく方向を言う人は
その答えは魅力的ではないだけで信じられない。

大眾が求めるのは”両方持つ”の人。
”神”はその願望の実体化ようなもの。
しかしこれは2つ違う資質と、今日は分かった。

ある程度、力や権利を集めるとカリスマを作り上げる条件の1つ。
ヒトラー有名な魅力的な演說方法は
”カリスマ性を集める手段”内の1つ方法である訳だ。

http://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%85%E5%8A%9B
心理状態を操るテクニック関してリスト。
珍しく日本語にWIKIは無く、中国語で探せる項目。
多分これらと関係がある。まあいつかしっかり調べよう。


ヒトラーに関して面白い話を探せるけど
まあ今の所に時間がない、とりあえずメモくらい。

生態系

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AF%A8%E9%AA%A8%E7%94%9F%E7%89%A9%E7%BE%A4%E9%9B%86
鯨骨生物群集

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%B7%E6%B0%B4%E6%B9%A7%E5%87%BA%E5%B8%AF
冷水湧出帯

http://matome.naver.jp/odai/2136922098493731401
ビワアンコウのオス

.....違う生態系になると常識は通じない。

特にアンコウの話は驚いた。
このイメージは魔都篇に役に立てると思う。

人間のモラル違反になるぽいけど
動物の世界ではあくまでも過酷な環境を適応するために手段にすぎない。

2014/02/21

アナと雪の女王

http://www.youtube.com/watch?v=tcJW2YGlkxM&list=PLbrh1Wx3Vxz_b0P_K4UAtwbDB_I_CAeYi

この映画の曲は特に好みではないけど
結構好き。

この映画の凄い所は”感情の掴み方”。
殆どの要素は好みではないけど(好きでも嫌いでもない程度で
どうしても面白い、気分が良い、好きになる所が強い。

大眾向けなのに精度は極めて高く
素人も玄人も満足させる、正しく万人向け。

ここまで心の掴み方を把握できるなら
正直、このレベルの作品を出せばほぼ100%儲かる。

観衆の好みは何でも関係ない、
普通の感性があれば必ず面白いと感じる。
これは究極的な作品だぞ。

そしてこの時代の価値観を上手く表現した。
特に雪の女王が一人になっているシーンは
孤独だけではなく、”解放”として作られた所に一番良い。

2014/02/20

たまに出るだからこそ本気だよ

今日は気付けた。

仕事は必死にやっていないけど普通に進める。
本気にやっている時は凄いけど
疲れると回復の時間も含めればそんなに変わっていない。

仕事って通常モードと本気モードがある。
本気モードの効率は2倍だが、あんまり出ない。
普通は通常モードでやっている時が多い。

”本気が出ないだけ”という話はよく聞いてるけど、
元々仕事という物は本気でやる以前、
普通でやるの方が大切。

”時々の本気”はそれほど頼れないんだよ。

毎日が本気が出る、それはもちろんベストだが
だが現実それはあり得ない。

本気を上手く出たときは”俺が凄い”と実感できるけど
それは良い事と思うが、仕事はマラソンだから。
一時的に良い感じでやっているでも
全体的に分配が悪いなら意味が半減。

週刊連載の作家は毎日が本気の人が多いと思う。
それは締め切りに追われるから本気を出せないと間に合わないから。

じっと偶然の本気を待つより
自分を本気を出さないといけない環境に置くの方が現実的。

本気は長く続かない。そして出られる回数も限られる。
だからこそ使うタイミングを選べないと無駄になるんだ。
最大風速が必要の時に迷わずに使おう。

だが通常の場合は、マラソンというイメージを意識して
パワーではなく”リズム”で仕事をやるの方が吉。

政治ファンタジー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%B2%BB

魔都篇のジャンルは”ダークファンタジー”、
という話題を考えると何かが思い付けた。

この物語は、基本のベースは
機甲兵、妖怪、人間、神で絡んで妖怪の城を作る
つまり”政治もの”で描ける事でいける。
乱暴に言えば”政治ファンタジー”ような概念。

これを考えた一番理由は、
”悪い事”を思考から排除する人間の習慣。

そして2番目は中国人にとって一番興味を持つの話題は
政治そのものだから。
上手くやれば、高校生以上の全て年齢層の読者をカバーできる。

まあ流石に中学生以下の読者に無理があると思うが。

政治はそれほど興味がないけど
仕組みと話運びとして、このシステムはかなり役立つはず。

政治は良い世を作るために必要だが
関わるとかなり手が汚いやつじゃないとやっていけない。

この両面性は、少年漫画でダークファンタジーとして
描ける事が似合うと思う。

あ、あと歴史に偉い人に”特別な性格や思考を持つ”ケースが多い
時代の変わり目に重要な役割が持っている
この意味では、史書を読むのも大切。

人格の表現はキャラとして勉強になる。
そして政治は”仕事として、ほぼ一番多い人と関わるジャンル”
だからテーマの意味では盤古にも似合う。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E5%8C%BA
自然保護区

妖怪は思考力が低いのやつが多いから
国の概念だけじゃカバーし切れないので
自然保護区という意味も含めてやっていけないといけないと思う。

まあ政治に関して俺は素人だが
この切り口は面白いだから、
資料を調べながら描いてもいいはずと思う。

2014/02/19

ネームそろそろ完成

となると最後の4回は31、37、37、35ページ。多いな。
普通ならこれでギリギリ1冊になる。
(15ページ程度の書き下ろしが必要だけど


描き終わると驚いた。

2話前にまだまだどシリアスの話、
1話前もまだ9割程度がシリアスなのに
ここは既にギャグオンパレード。

特に盤古はボケ担当に戻る感じは自然すぎるだろ。
改めてこの漫画はシリアスモードもギャグモードも
充分にいける資質が優秀と思わせた。

そういえば昔も両方並行したい構想があった。
ドラえもんの通常篇と大長篇の意味で
この漫画を描いてみたかった。

まあ機会があればまだ考えよう。


色々楽しかったな。

小さいな恋人達


どうでもいい話だが、魯泉と徐梅の恋話を語る。

この二人の場合は少年漫画らしく”恋になる手前まで”
という話しか描けないが、個人的に1つ所が特に好き。

それは”素直に好きを言う”の所。

ラブコメ系メインの話はすぐに恋人になると
描けるものが無くなるから、トラブルや誤解を量産させ
感情の育ちスピードを出来るだけ下げる。

機甲盤古の物語は元々ラブストーリーじゃないだから
逆に初めから一定のペースで両人の恋心を描ける。

5巻は初めて出会えた時に魯泉は徐梅を普通に手を貸す
9巻の時は徐梅の恩返しで身代わりに馬賢の足を止める。
12巻の時は誘拐された徐梅に魯泉が一人で助けて行く。
15巻はこの質実の告白シーン。
一応カウントすれば19巻は魯泉の死と生き返しで再会も入れる。
そして最終回の弁当イベント。

二人のイベントはこの5~6つだけ。
しかしそれだけで全てを描くべき事を描き切った。

それほど意識していない、描けるといいなの程度でしかない。
でも今見れば、割としっかりじゃん。
大体に物語の1ステップにちゃんと1つイベントが配置してた。

淡々とだが確実に進む。
魯泉らしいの恋話だった。

この二人はラブストーリー系にして珍しく
両方共は料理できるタイプ。

だから二人一緒に食事を作るシーンは劇中に所々見える。
微笑ましいなと思わせた。
多分、この漫画でしか読めない小さいな恋人達かもしれない。

嘘フラグ

今回の構成は凄く綺麗に4パートになる。

導入パート5ページ、
残り3パートはそれぞれ10ページで
完璧それに均等に4部構成になっている。

綺麗過ぎてこれでいいのかくらい。


そしてヨセーブと皇帝のパートの伏線回収できた。
4ページで軽快にクリア。

......この作品に関して、
この二人のフラグは”嘘フラグ”として描かれた。

何か大事なイベントが匂わせて
結局は大した事にならなかった事。

一応シナリオを用意してたが
物語のバランス上、どうしても削減したい所があるなら
ここが優先にカットされるの支線である。

皇帝は人間キャラにして優遇されたが
この物語の後半は元々人間との関係性希薄だから
大体このくらいしか描けなかった。

ヨーセブの話もスパイ戦として描けなかった。
まあ相手は神だから人間の腕じゃどうにもならないし。

最初(2巻完結)のシナリオでは
ラスボスはヨセーブ。盤古を乗っ取るのは彼の予定だった。
しかし話のスケールを大きくなると彼の器じゃ足りない
だからラスボスは百足に変更した。

そして、ヨセーブは裏設定がある。

彼は右利きだが、武器を使うとき左利きになる。
もう少し正確に言えば、自分の良知を裏切る時にやった事
全てが左手でやっている。

写真取るのはスパイ活動なので左手で
絵描きは本当の趣味なので、右手でやっていた。
これは初登場でこれをちゃんと描いてた。

彼はスパイに関して罪の意識がもっている。
中国が好きは嘘じゃない。
でも自分の国を優先させなければならない。

彼は羨ましさ、罪惡感と劣等感を持っている。
本来のシナリオに”左手右手の使い分け”が
皇帝に見破られるエピソードは存在した。

結局尺は足りなかったので描けなかった。

しかしこの二人に関して話は
”人間の今と自分の国の未来”と絡めていたから割りと好きなんだ。

神々達の物語の中にひっそりに居て
文字幻術と神々とまるで関係なく、自分目指す所をひたすらに進める。
面白い立ち位置なんだ。

そんなの二人は神々とあんまり絡んでいない。
だからこそ、最後はこんな風になったと思う。

ある意味、全てのキャラに
一番”未来”を感じさせた二人である。

2014/02/18

再構成

ネームを書き直す中。
ページ数は多くてあと1日くらいかかりそう。

話すべき事は結果的に増えているから
登場キャラは減っても構成は簡単になる訳がない。

話が進むごとにキャラは追加して
雰囲気が賑やかになっていくのは面白い。
でも処理はちょっと難しい。

今日が終わりそうもない。

でも、今回こそやりたいあれの
”結局ほぼ何も起これない平和のおとぎ話”
できそうだ。お楽しみです。

2014/02/17

リーダーシップとは

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E7%9F%A5%E6%81%B5%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9

後知恵バイアス

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0650.htm
リーダーシップとは

......リーダーは面倒くさい。(汗

http://diamond.jp/articles/-/38233

日本ではなぜか自分が先頭に立って引っ張るタイプが
優秀なリーダーだと思われていて、
メンバー一人一人の力を引き出すためにサポートする
タイプのリーダーがあまり評価されません。

.....それは面白い。
確かに”引っ張るタイプ”の方が目立つだが
”引き出せる”のが地味だが、遥かに効率が良いと思う。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A6%E5%AA%92
触媒

知り合いは言った事がある。
こういう主人公はこの時代に地味に居る。

本人はパッとしないが、何故周り人を巻き込む。
知らない内にたくさん事をできた、と。

2014/02/16

感覚しか言わないのは

今日は知り合いと話す。
彼はちょっと悩む所があるので
聞く役をやらせてもらった。

で、あの人は基本的にいわゆる”直感タイプ”の人だから
俺は理屈の説明が届けないと思うので
できるだけ非言語思考の要領で話してみた。

................で、意外に苦しいwwww

俺普段は理屈で大体通じればいいから
合理的に言う習慣があったが、直感タイプはそうじゃなかった。

理屈を言わないと、何を言う?
”感覚を言う”でしょう。

だが案外に難しい。
自分の感覚を言うだけで届ける訳でもないだから
相手では分かる感覚で言うしかない。

理論詰めは全然届けなさそうで基本的に禁句。
しかも当然相手から理屈も全然来なく
届けてきたのは全て”感覚タイプ”の言葉。

ふわふわて。しかも相手自分も悩めているからさらに曖昧
あのハッキリしていない感覚、上手く読み取らないといけない。
俺にとって、もはや半分は暗号ようなものだ。

全然慣れないよ。アレ。

普通の会話で何倍の体力を使う。
会話だけで汗をかいた経験はかなり珍しい。

しかし割りと面白い練習と思った。

選んだ言葉を相手に届く、という事自体は
本当に一人一人のやり方が違う。

正直、今日の会話は届けたどうか分からないが
今まで違うの”考え方”を味わいました。

価値観が違いでも考える方法は同じ、ではなく
本当に”思考のタイプは様々がある”と実感した一日でした。

2014/02/14

魯泉と盤古

ページを再び振り分け、
盤古の出番は大幅に増えてページ数まだ跳ね上がる
最終回のタイトルは”魯泉と盤古”となる。

......実は、連載最初ではこのサブタイトルで書きたかった。

1話目は”盤古との出会い”だから。

元々”盤古と一緒に帰って平和の日々を送る”
で書きたかった。

しかし科挙篇は本当に色々がありすぎて
意外とは言え、盤古は人殺しまで(正確的に妖怪の霍安)
やってしまったから
最初期の構想でやっていけるのかどうか
自信がなくなった。

という訳で、最終回では一番描き難いのは
盤古の心理描写であった。

前述のように、盤古は”変わってしまった”から。
他のキャラと比べて一番に心理状態が変わった。

原点回帰は魯泉のテーマだが
盤古にとってそんな風で考えられない。

今の盤古は魯泉とのほほんで
田舎で永遠に平和の日々を送るだけで終われない。
この意味では、魯泉と分かれ道がいずれが来る。


それでも、1巻目で出ましたテーマがあります。

それは感情の学習。
盤古にとって、あれがあるこそ”魂”を手に入れた。

力だけなら”兵器”のまま、
知識や思考まであってもまだまだ”賢いロボット”

感情があるこそ、やっと最後の最後で
活路を見つけて兵器の自分を勝ち取った。

未来はどうになるのは分からないけど
今までやってきた事の意味だけなら
盤古はしっかりに掴んだ。

文化の繋ぎ目

今日はちょっとケモノ作品を並んでみた。

そして気付けた。中華風ながらケモノで描かれた漫画は
機甲盤古だけ。

1巻クラスや妖怪物も含めればほん少し例外はあると思うけど
本当にあんまり見つからない。
20巻クラスなら、この世に絶対にまだ盤古しかない。

編集長に言われた事を思い出せた。
”機甲盤古が一番珍しい所は、
西洋系ファンタジーでも和風ファンタジーでもなく
中華風でこんなの漫画を描き出せることなのだ。”

............珍しいに言われてみれば本当に珍しいが
俺から言わせれば、今まで一作も無いの方がおかしいだよ。

だって中国では
たくさんケモノキャラでファンタジーモノは、
あの有名な”西遊記”があるじゃないか。

まあケモノ自体は珍しいけど
どう見てもあの小説は既に半分ケモノ作品ようなものじゃないか。

主役5人に、本当に人間のはあの唐三藏だけだぞ。
敵だって半分くらいケモノキャラじゃねぇか。

ドラゴンボールはケモノキャラが多いの頃だって
西遊記でベースじゃないか。

その西遊記があるから盤古は思い切り
ケモノキャラでメインの話に切り替えした。
前例あるなら遠慮無く。

...だったらなぜ台湾も中国もあの時まで
誰もこの発想に使わないの?今で思えれば充分に変だよね。

嫌なタイミング

風邪が引いた。

まあ流石にこれほど寒い天気.......しょうがない。

しかしタイミングはちょっと嫌だ。
これじゃしばらくネームの修正は無理。
描きたくでも頭が働かないだから。

もっと嫌のは3日も放置すると正確の直し方も忘れるかも。

だから今の内にメモ。

とにかく盤古の出番が増やして魯泉のシーンをサポートする。

魏恩の出番を全て無くし
ヨーセブと皇帝の話は追加
そして守芬はこのクループ入れよう。

この辺りの話は本来のネームでは
魔都篇で使うべき物。
ここで描くと最終回らしくない。

むしろ、次回は魔都篇の1回目の展開みたい。
ああそう言われると納得。
本当に面白いけど、收拾は付かないよねあの描き方。

キャラの数を減らして後日談パートをシンプルに。
その代わり魯泉家の日常を増やす。

あと、最後は喜願樹の話で
”食事シーン”を活用して全篇を繋ぐ。
呉鎮くんは登場させてオチを処理させてもらう。

体調正常ならこの程度は2日で直せるけど
これじゃ倍になるかも。

2014/02/13

それぞれのモチベーション

知り合いと話し合い。

そしてちょっと実感した、
人はそれぞれのモチベーションがある、
そして打ち合わせによる、モチベーションを上げ方も違う。

担当は作家に気持ちよく描かせるという話術を持ってれば
結構変わると思う。

元々俺は作家側だから
自分のモチベーションは自分で何とかにする姿勢でやっていたが
たまに俺も作家の知り合いのモチベーションを上げよう時もある。

それはそれで工夫が要る。

元々人の興味が違うですが
昨日の会話で何となく感じてた。
それを上手く掴むのは機微に居る。

”おまえ、俺と話す時、
時々の『興味ない』のサインが気になるんだよ”

その一言で何となく分かった。

確かにあの話題が興味がそんなに無いけど
相手もそれなりに気になるんだ。

話題に合わせて話してみようと何かが違う。
興味は別々だが、ある程度なら俺もそれはできる。

担当の場合は作家と打ち合わせも同じでしょう。
むしろ会話を弾む技術は必要。

作家はどちらで言えばワガママの方だし
仕事の内容は個性が必要だから
だからどちらで言えば、担当は合わせる側。
割合として8:2かな。

一概に言えないけど
”我侭な作家とそれを合わせる担当”と
”我侭な担当とそれを合わせる作家”
どちらで言えば、構成的に前者の方は合理的と思う。

まあ実際、互いに様子を見てて交代して
我侭と合わせるの方が一番良いと思う。

そのタイミングはまだ、結構奥深い。

こういう事に関して
会話に必要の時間は思ったより長い。

噛み合わせる地点を見つけるまで
”良い会話”はとても必要なんだ。

2014/02/12

最終回にならない

139章ネームの打ち合わせ........
.....一言で言えば、コレ、最終回じゃないだろ。と

まあ何となく魏恩パートの時に薄々感じてた。
話は壮大になりすぎて
伏線回収どころが、まるで新しい伏線をばら撒いた。

魯泉の方まだマシだが
肝心の盤古は先回で言いたい話がほぼ言い尽くした
その上にページ数は盤古の出番に回す前にそこで尽くしてた。

まあ、正直に言えば
まだまだ描ける素材が多いだから
ああいう風になるのは分からなくも無いし.......


でも最初の階段から一番勘違いのは
今回の話は”魯泉の話”ではなく、”魯泉と盤古”の話なんだ。

先回は盤古の話だから、今回は魯泉の話を描く
という判断は間違えていた。

残念だがテーマ選ぶが間違い時点で
いくら要素が面白くでも、テーマもしっかりでも
物語として完成できない。


いや、ある程度はそれを分かっているけど
このボツ1回くらい過程的に実は必要。


138章は”科挙篇(9巻以降)として総決算”なら、
139章は1~8巻の旅路篇の総決算として描くべきでしょう。

確実にあそこに居る

非言語思考の話題を少し続く。

この要素を気付くと、色んな事の辻褄が合っていく。

今まであやふやの何かが、
居るか居ないかハッキリ出来ない事はハッキリした。

空気のような。
手がブラブラ振ると、そこに何かが居ると思うけど
目に映るのは、何も無いじゃん。

しかしそこに居るには空気。それだけ分かると全然違う。

言語思考は経験で積み上げるように
非言語思考は違う方法だが、同じくて経験で熟練度が上がる。

そして嬉しいのは、互いにサポートできる。
だが大体、会話できるの人間関係に使い易い。

絵を描く、スポーツなど言葉しなくでもできる行為に
会話する機会が少ないだから非言語思考の強度が高い。

日本に”職人芸”はこの方向の強さがある。
本を勉強はあくまでも”言語思考”、それは全てではない。
というか、量として半分も満たないと思う。

言語思考でメインの仕事は、実はそんなに多いと思わない。
ある意味それは現代の落とし穴かもしれない。

2014/02/11

宗教から教育へ

今回魯泉の話のテーマは浮かんできた。
恐らく”宗教から教育へ”という話。

これがネームの後半で感じる。

ルネサンスは、宗教の話を始めて思想になっていく。
人間意識の自主性はあそこから強くなると思う。

だから今回で魯泉の語りで
”神様が文字に宿っている”というイメージが現れる。

これは宗教から教育へシフトの初期階段と思う。

神は今まで絶対的の上に居たが
これから別の所に、別の形で人間を何かがを教えてくる。

そして宗教の意味でも、教育の意味でも
この話では同じの話になる。

人間は例えこれで賢くなっても、
だからと言って偉くなる訳ではない。
成長の仕方に焦らずにゆっくり考えて行こう。

人間としてならこの事は皇帝も農夫も同じ。

今回はそんなの話だった.....と思う。

背徳感のパラメータ

ちょっと面白い話を思い付けた。

背徳感という話。

人間って、大体ちょっぴり悪い事をやる時は
快感を感じる。

背徳感のパラメータという話を考えた。

どこまで悪い事をやりたいのパラメータ。

人間って普通に良い事をやる時に気分が良い
それもよくあります。

だが、道徳が強いほど事をやりたい訳でもない。
大体の人間は、小さいな良い事しかやりたくないんだ。

基本的に教育の姿勢は
どんなに小さな悪事でもしてはならず
どんなに小さな善事でもしようと心懸けよ

だから基本的に教育に関わる話は”良い事をやろうとする”
という感じで語る。

しかしよく考えればそんなに簡単に済めれば
”良い話を見るだけで善事が溢れる”なら
この世は善事が溢れているはずだ。

同様、悪い事を見るだけでこの世が溢れるほど単純じゃない。

こういう事は”覚えて上がっていく”と思う。

誰も大きい悪事をやりたい訳ではない。
そして小さい悪事をやると、段々に大きい悪事をやりたい訳でもない。

動機は小さくでもいいんだ。
大きい悪事は利益に関わるだからやるんだ。
悪事自体をやりたい訳ではない。
同じく善事も同じと思う。

やり易い環境を用意すれば育っていく。


で、最初の話に戻る。

”信号灯を無視して進む”や”今日の宿題を放置”
くらいの快感はある。

が、蟻を殺すが面白い人はいずれウサギを殺すの快感を覚え
殺人鬼ほど発展していくと限らない。
というか、大体の人はそれが無理。

”利益のために人を殺す”の方が確率が高い。

だったら、どんなの人間は趣味として
どれほど悪事を興味を持つ、それは背徳感のパラメータの話。

物語として、描けそうかも。

2014/02/10

信じるべきではない人

最近、ある知り合いの信頼度は一気にガクッと下がった。

彼の才能が好きで読み切りや同人誌の表紙を描かせた
で、みんなにボロボロまで悪評された。

まずは手抜き表紙、度を越えた内容
昔より低いの作品レベル、人を騙すの不誠実な態度、
1つ作品をいくつ所に使いまわし
人の作品のブランドを無視して自分の利益や知名度を優先
みんなを迷惑かかって、主催の俺は一人一人に謝るしかない。

マジで疲れた。


10年前にくらい彼の作品は本当に好きだった。
彼はかなり金好きだが、俺はそれでも彼の作品は好きで
どうしても彼と一緒に漫画を描きたかった。

でもそれは俺が一方的な想いだった。
彼にとって、知名度が上がれば何もする
しかし逆に時間を短縮するためにどんなに手抜きもする。
それに人の都合は全然考えていない。乱暴な自己宣伝。

本当にがっかりだった。

百步譲れて悪意と無いと言っても
慾望は露骨過ぎて常識不足になるくらい。

俺は最初の頃に彼をまだ信じて庇った。
しかし連続のミスで信用を一気に無くなった。

俺は恥ずかしいと思った。
こんなの人を信じて色んな事を任せた。

幸いのは、同人誌自体は仕上げが悪くない。
損害は小さくてできるだけ抑えてた。
でも担当に立場でこういう仕事をやると色々経験貰いました。

彼の考え方は良い作品を作れないだよね。
1~2冊目は全員参加者のセンスを驚いたが
3冊目で彼の加入でもう一度、改めてに驚いた。


みんなは本当に”効率よく漫画”を描いていない。
だからこそ、”良い漫画”を出来上がるんだ。”

いくら効率が良くでも、ある程度以上に質が低いなら意味が無い。

2014/02/08

一つ物語

139章のネーム進行中。

......ちょっと難しいかも。
残された未回収伏線を黙々回収と後日談会話だけじゃつまらない。

やっぱり最後の話もきちんと”一つ物語”として構成したい。

魯泉自身の物語という話で。

おとぎ話的なスパイスを使ってやってみようかな。

おとぎ話でも魯泉で書くの場合なら刺激さはあんまりない。
しかし最終回ならそれがいい。

魯泉がメインの話は
”実は特に何も起こっていない、しかし暖かくて優しくに包まれる”
そんな感じの話かなと思いました。

ゆっくり、ゆっくり考えて行こう。

 
あと蝦兵蟹将はほんっっっっとうにツボ過ぎる。
もう何ていうか、もはや癒しの神様。とにかく大好きだ。

2014/02/06

最初の予想

科挙篇に関して最初の予想は

予選は3章、百仙戯8~10章くらい
倉頡迷宮は16章くらい、月牙泉は10章程度
そして最後の混沌創世は6章くらい.....

試合の間幕も含めれば大体50章を描く事になる。

結局、最初の予選から7章になったので明らかに破綻した。(汗
ほぼ全ての試合は倍になった。

キャラは多くほど話が長くなる
この概念は最初の頃にまだ無かった。

短くにするためにキャラを減らせないといけない。
しかし本当に一人一人が好きなので.....
一人一人をしっかりに描きました。

2014/02/05

非言語思考

http://www.scientifictopcs.pureheart-counseling.com/new-interpretation/1667
言語思考と非言語思考

http://www.plurk.com/p/jp0tzp
相関話題

時々ぼんやり考えている。
思考って言葉で考えているのか、
あるいは文字で考えてたのか。

文章になる時は文字で考えていると決まっているが
普段は別にわざわざそうしなくて言葉で考えている。

で、言葉も文字も使っていない思考って
どんなの思考?

という話で調べてみた。そして面白い話が出た。

それは”非言語思考”という。

例えば音楽と絵画。
曲を作る時はリズムとメロディを考えている。
絵を描く時は色と形を考えている。

そこには言葉も文字も要らなくでも作り出す。

天才ぽい人に”どうすればあんなに傑作を作れる?”
と聞いたら、あの人自身も上手く言葉で示せない。

それは、非言語思考でやっているから。

そして面白い事を思い付けた。

俺たちはそれを”才能”、”センス”や”直感”で言う。
そしてそれまで。これ以上の説明は出来ない。
出来ない人は一生できない、勝手に決まってしまう。

しかし決して方法がないではない。
言葉でその仕組み上手く説明できないだけ。

話し作りに結構経験がある。
だからこそ分かるんだ。

アイデアはどう浮かんでくる?と聞いてた事が多い
逆に俺は、なぜどんなに説明しても相手が分かってくれない
という気持ちが強い。

わざわざ言葉で仕組みを言っても割と分かり辛い。
そして数学ように論理的になれない。

しかしそれは”元々言語思考で辿りついた”物ではないだから
数学ような思考では掴めないのは当然。

同じ非言語思考でやっている相手だけに伝える。

これは学校に本で勉強の限界と思う。
そして同時に”言語思考”を頼りすぎる所がある
ソレを万能と思い込む危険がある。

でも逆に言えば、そこに居るのは
今まで”才能”一言で片付けるの、無限な宝物があると思う。

科挙篇終了

http://www.comibook.com/cb5034
偶然だが、科挙篇は丸々100章を渡りました。
39章から138章まで。

本当に長いでした。
でも色々があって楽しかった。

連載としてこの長さなら無事に終わる確率は低いの方だが
ちゃんと最後まで描き切れるのはよかった。

みんなのおかげなんだ。

初期のベース


そろそろ忘れていたのでちょっと書く。

序盤のコンセプトは盤古の文字幻術だから
基本的に黄雷が出るの5巻まで
毎回必ずと言ってもいいほど盤古は最低に1つ技を披露する。

そして盤古は同じ技が二度と出ないと構成になっているので
技は序盤でも出来るだけ多彩にやっている。

キャラの名前も同じく、新章突入の時に基本的におさらいする。

このイメージを定着するまでこの地味の仕事は続けてた。

正直、アンケートの意味だけならこの方法は不利。
しかしこのしっかりやっていく雰囲気は結構好き。

2014/02/04

魯泉の手紙

http://www.chinapage.com/big5/prose/1000w.htm
千字文

魯泉はストーリーにずっとこの本の漢字を習っている。
とりあえず魯泉はこの1千文字を半分程度を習ったと仮定すると
手紙を書く、のは今回の冒頭。

そして俺は過去に習った漢字を、調べる。
手紙の内容は約60文字。
その中に千字文が居ない漢字は12文字。

その12文字に魯泉は人名として習った漢字
そして割りと簡単、小学1~2年生で習える漢字を除ければ
魯泉はまだ書けないのは6~7文字くらい。

割合として見れば9割の内容は自力に書けるという。
手紙の内容は物凄く簡単、大体小学2~3年生くらい書ける程度だが
とても感慨なんだ。

1千文字くらい習えば、短い手紙は何とかギリギリ書けるんだ。

本当なら魯泉まだ1千字を届けていないので
もっと使える漢字が限られて内容がもう少し読み難いだが、
まあ漫画だから読み易さを優先したい、それくらい許して。

1話目から最終回まで作中の時間は5ヶ月くらい
(1話目は春、最終回は夏末)
そして1千字を習うために普通の小学生は3年かかる。
魯泉は12歳だから学習速度はそれよりちょっと速いとは言え
半年弱で6百字も7百字も身に付けた。

かなり頑張らないと出来ないんだよね。
そしてここまで来たんだ。

2014/02/03

昔のカードゲーム

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%99%E7%89%8C

中国はそんなにあったのか。

地方の遊びはバラバラだけど揃えば多いよね。

2014/02/01

2014年馬年

あけましておめでとう~。

アナログカラーは久しぶり。
カラーは得意と言えないけどこういう自由な書き方は好き。

学生時代まで
俺にとってアナログのカラーは”チャレンジの場所”。
失敗の確率は凄い高い、まずは商品として成立しないだが
自分の絵としてこっちの方も表現の幅に入れるから割りと大切。

彩度は低いけど、やっぱり”何でもあり”の感じは重要。
デジタルカラーは全部に仕事絵なんだからそういかない。

捨てていくと残された物

https://www.youtube.com/watch?v=LojTZIeB3cA&list=PLbrh1Wx3Vxz8542995m722VxqREerDVmy&shuffle=443

何となく覚えてた曲。
青春の初々しいと自由さを感じさせた一曲。

この間に聞いた、思い出せた気持ち。

大掃除は終わりました。
思った通り、凄く多い物を捨てた。

旧暦の新年雰囲気は薄くなったという話は聞いた一方
新年で親戚に会っていく凄く面倒
習俗は厭わしい、という話も聞いてた。

この話題は考えさせた。
父さんは認知症で日常生活も支障が起こった以降
新年でやる料理や慣習は減って素朴になった。
母さんもちろんやるけど、父さんと比べてシンプルの方。

ああいう物は年長者が持っていく物。
世代を交代する時に減って行く。

俺は基本的に古い習俗が好きの方だが
持って行くのは割と難しいと思った。
わざわざ意識して持って行かないと自然に捨てられていく。

この時代は新しい物が怒涛ようにやってくる。
だから、古くなった物が捨てられるスピードも半端無い。

バトンリレーような物。

若い世代はそんなの話をあんまり考えない
若い人は新しい物を好きだから。
しかしそこに居るのは文化だった。

中国の新年の料理はかなり豪華、
基本的に”食べ切れない”の量を作られる。

昔の時代は食料がそれほど多くないから
正月だけはしっかり食べられる意味で必要以上の量を用意する。

今の時代なら四季に好きな物を、充分の量も手に入れる。
それはあんまり必要がなくなった。

今の時代は忙しい。量より効率に。
時代は変わる。色んな物は変わっていく。

しかし文化は色んな物を保存して残していく。
その景色は美しい。

この曲のように。
あの時代で、若い世代の気持ちを代弁した
この時代で、あの時の初々しいさを思い出せる。

世代交代で様々物を捨てていく、残されていく。

俺はせいぜい70年や80年しか生きれなく
この先の風景を見られないのは残念だけど
この世は本当に面白いと思った。