2014/01/31

そこそこ

一流のメジャーじゃなく、
”そこそこの知名度”である二流の店や作品は
何となくもっと知るべきと思った。

あの”そこそこ”は何となくあんまり知られていない。

大成功の何かが輝く、そこから学ぶも良いと思うが
”そこそこ”は地味に凄いけど知られていない
という落とし穴が存在している。

上手く説明できないけどまあそんなの気持ち。
結論が見つけるとまだ続き書こう。

139章シナリオ

最後の話は、魯泉と盤古帰郷の後の話。

まず最後に残された未回収伏線はヨーセブと皇帝。
これ以外の話は殆ど收拾しましたから。

魯泉が連載始めた頃、1千字の漢字を学ぶ話も
手紙を書く時に回収。

....科挙篇の時点では500字程度だから
本来ならまだ千字まで届けていないけど、
まあ帰郷の途中で終わらせたと想定してもいいでしょう。

第1話の視点は魯泉だから
最終回も魯泉視線でやっていくと思う。

魯泉成長の集大成....という話になる。

字を学ぶはテーマだけど
やっぱり魯泉の立場から見れば一番の成果は
視野が広げたと思う。

あれだけ遠かった神々は何人も魯泉の知り合いになった。
盤古の方が仲間にするキャラ数は多いが
魯泉は魯泉なりに割りと多い仲間を集めていた。
盤古に次点、流石に準主人公と言った所だ。

魯泉は本当に最後まで”普通の人間”として描かれた。
盤古は変わったけど、魯泉は本質に全く変わっていない。

その分、科挙篇の出番は抑えられ
何も出来ない時は割りと多い。

人間盗賊なら一人二人くらい倒せるように
強さになったかもしれないが
この漫画の場合は、それはほぼ変わっていないと言っても良い。

ああいう凡人のテーマはいつまでも優しさと純粋と思う。
この世に、人間は自分が凄いとか大きいとかと思ったが
やっぱり魯泉ような人はたくさんに必要と思う。

賢いな人は、実はそんなに多く必要が無い。
100人に2人3人くらいが居ればいい。
しかし8割程度の人は魯泉ような人が無ければ
結構大変になるんだよ。

だから神キャラように突出した所は与えていない。
漫画のキャラの意味ではそれはどうだろうと思ったが。

色々成長したけど、普通は普通に。
生かせる道が分かっていく。

2014/01/30

プロジェクト・ニム

http://killshot.blog65.fc2.com/blog-entry-87.html

動物を言葉を使えるか?
使えるんだ。

しかし使えてもあくまでも動物の扱いなのだ。

大変過ぎて。覚えなくでも良いと思うくらい。

2014/01/29

138章完成

間に合いました~~!
本当によかった、特別にヘルプを追加した甲斐があった。

ネームはかなり長引くになりましたから
37ページの原稿は下書きから完成するまで13日しかなかった。
本来なら15日くらい必要はずなのに。

.....いやよく考えたら、15日も充分に早いだろ。
数年の連載に訓練されて凄いスピードが身に付けたんだ。


これで安心に年を越えるんだ。
139章の話はゆっくり考えておこう。

明日は大掃除。
今回は壮大と思う。

父さんと連載の事で昨年はあんまり余裕がなかった。
今年は掃除の時間くらい出来た。
まず今まで捨てなかったものを一気に片付けたい。

そしてこれからの事を色々考えたい。
この先はどうになるだろう。

2014/01/28

間に合うのか

アシスタント7時間を描いてて
こっちはとにかく描く。

ここまでは32ページ、あと5ページ。
なんとか間に合えそう。

明日がトーンを貼れば終わる....37ページもあるから
終わらないかもしれないが、ギリギリ間に合うと思う。

2014/01/27

死ぬ気で進む

アシスタント8時間を小物とベタを描く。

俺は効果線を死ぬ気で描く。
今日は半分を超えないと明後日が終わらない。

大晦日で仕事なんて嫌だー
正月の3日休みは俺にとって一年に一番大切な休日だし。

とりあえず今の所は18ページでギリギリ半分越え。
ひいいい。

2014/01/26

背景完成

アシスタント7時間をベタ描く。

こっちは背景まで終わりました。
残り3日弱。

今回も時間足りない。うーん。

資金集め

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/994819.html

http://knowhow.dreamgate.gr.jp/operatingFunds/id=565
事業譲渡


http://www.kubotax.com/venture/fund/

2014/01/22

そんなの父さん

呉錬のエピソードは今回で終了。

呉錬は凄くインパクトがあるキャラ。
強くて格好良く、汚くて素直、金好きで息子想い。
そして情けない時は力一杯に情けない。

霍安は悪役で味方なら
呉錬は正反対、悪役ではないが敵役である。

品徳や教育程度は低い、決して賢いに言えない
考えは物凄く純粋、悪意でさえ凄くストレート
しかし時代のタイミングに恵られて金持ちになって
露骨に金好きで子供を満遍なく溺愛する点は、
こういう父は台湾では全然珍しくない。

しかし割りと、漫画ではそんなのキャラが出ない。

ドラマならよくあるけど、漫画の場合はほぼ無いと言える。
だからこの作品に素直にイメージそのままに描いてた。

自分はどうになるでも構わない、
自分の息子のために何もする、息子が幸せになるなら命も捨てる。

それは本当に割りとリアルと思う。
漫画ではなく現実によくある。

動物のように強く、そして動物のように素直。
しかし弱くなった時も動物のように弱い。

呉錬のキャラは全然悩めなかった。
ある意味、俺の父さんはあんな風なんだから。

呉錬のエピソードは、
この世にそんなの父達に伝えたかった敬意と思っています。

誤謬

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%A4%E8%AC%AC

誤謬のWIKI

この話は記録した事があると思ったが調べると見つからない。
だったらメモ。

この話題は非常に重要なので
いずれ本気に週単位や月単位で勉強したいポイントである。

連載を続く場合はそんなの暇がないから後で。

時々、何かテーマを考えるときは
どうしても感情的になりやすく誤謬をやってしまう。

作家の仕事は考えるだが、
割りと本当に痛恨なミスを起こる時がある
結構痛感した時はあるんだ。

このテーマで丸1つ連載を描くのも充分にありえる。
こういう本は買いたい。

2014/01/21

僕と俺

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B8%80%E4%BA%BA%E7%A7%B0%E4%BB%A3%E5%90%8D%E8%A9%9E
日本語の一人称代名詞

盤古の一人称は”敝人”以外に”我”も使えるようになった。

日本語の意味では、
”僕”ばかり使う少年は徐々に”俺”に混ざっているようになる
みたいな話。

これから盤古は
”機甲兵として自分”と”強い意思を込めたい”
という前提では大体”我”を選ぶ。

盤古の序盤キャラが結構薄くだから悩んだが
中盤以降の育ち方が意外な効果が現れた。

盤古のキャラは、漫画の育ち方ではなく
現実に近いの育ち方を使っているから。

漫画の場合はキャラ育ち基本的に
良い意味や悪い意味どちらしか選べない。
主役はより良い方向へ歩く。悪役が悪堕ちようになる。

漫画はそうだったが、現実は違う。
大体の人は両方共に混ざって持っていく。

”良い意味も悪い意味も全部持って成長していく”
という事は言うだけは簡単だけど
現実にやるのは結構苦労なんだよ。

魯泉も色々を経験したが
いざの時はあの臆病さと優しさが必ず出てしまう。
そこにあるのはたった1つの軸。
決して変わらない、ああいうタイプのキャラなんだ。

盤古は”変わってしまった”キャラ。
粘土ような何かが追加した後は混ざっていく
魂の色は別の色が変わっていく。
あの成長の仕方は初期狀態に戻れない。

このやり方は大変だし、幅広い上にかなり機転が利く
だが代わりにどうしても作家の経験が色濃いに出るから
作れるキャラ数は非常に少ない。

しかし、例え盤古一人しか作れなくでも
この方向性は本当に良い経験と思う。

2014/01/20

最後の一芸


今回で裘青最後の見せ場。

.....見せ場と言っても、
エピソード重要度の意味では今回ではかなり下位なので
この程度。

今回はこういう話ばかり。
本気で描ければ週刊1回分、盛り上がるに充分に資質があるのに
今回は 5つエピソードがあるために、
それぞれ”あくまでも話の一部”として描かないといけない。

裘青のエピソードもそうなんだ。
普通に良い感動的な話になれるはずだが
本当に読者を泣かせるように描くとバランスをぶち壊す
だから軽くほろり....という匙加減で描かないといけない。

裘青の最後の一芸は馬賢に使うではなく、
”馬賢のために魯泉に”使ってしまった。

あくまでも弄臣だから
できる事は人の機嫌を取るしかない。

道化役は客の前に泣く資格が無い。
脇役は脇役らしく、インパクト演出を敢えて避けてしまう。

裘青は他の3人と比べて運が悪くて
感情移入のエピソードは描く機会がなかった。
だから最後の最後でも、ふわっと小さい話にしか出ない。

そこに居るのは、何も言えないの寂しさなんだ。

2014/01/19

Englishman In New York

http://www.nicovideo.jp/watch/sm22466476

渋い......
偶然にこんな良い曲と出会えたとは
今日の幸せ。

コマ割の本

チャレンジ! はじめてのマンガ

この連載を読んだ、切り口が良いね。

こんなの本もっとあってほしい。

ネームは本当に深いので
勉強する余地がまだまだ多いのに
ネットでざっと調べたら大体コマ割や視線誘導
ような”目に見える物”に限られている。

やっぱりネームより絵の方が重視されやすい。
でも漫画の面白さが8割にネームに居る。
これが極めなければ漫画として勿体無い。

こういう本は実際に作ってみたい。

2014/01/18

成長という話

最後は?ストレートの主役(高津)の話を考えて
面白い話を思いつけた。

高津は序盤に結構弱気なキャラ。
試合を続ける度にどんどん強くなって、そして何も怖くなくなった。

しかし俺は、同時に高津の性格が薄くなった感じ。
序盤はヨナヨナだが心理描写があったが
後半は心理描写がほぼ無くなって
高津の何を考えているのは分からなくなった。

高津の感情は”怖くない”として描いてるけど、
本当の”勇気”が分かっていない、ような感じがする。

”欠点を減らして”という方法で”キャラの成長”を描く。
そしてこの作品に限って悪手になった感じ。

”欠点”という事、言い変われば”特性”。
だから減らせるのも考えるもんと思う。

まあ現実に考えれば、
特性を追加というも減らせる事も有り得る。

でも漫画の場合”欠点を特性として活かせる”
という方向性の方が王道。

まあちょっと珍しいけど
尖がりの特性が磨けて丸くなってバランス調整で
”キャラの成長”としてを描くのもそれなりあると思う。


......そしてこの話で盤古の性格が思い付けた。
盤古の性格は基本的に”特性を追加していく”タイプ。
元々テーマは”感情を習う”だからね。

序盤は優しさや信頼とか積極性など
感情の”良い所”を取りながら成長してきたが
中盤からそれは違う方向性になった。

感情と言ってもマイナス感情があるだから
盤古は科挙篇がたくさんああいう感情を取得しました。

そう、特性を言い変われば、”欠点”になるんだ。

だから盤古はなんか中盤が成長したのところが、
序盤ではあんまり無いの迷い、怒り、悲しさなど特性が増えて
まるでレベルダウンという異常な様子を見せられた。

最初おれは”何故こうになった”と困っていると思ったけど
今はちょっと分かってきた。

欠点(マイナス)を手に入れて、そしてそれらを1つ1つ向き合う
1つ1つ乗り越え、特性を増やしていくという成長スタイルなんだ。

王道の"ただ1つ特性を輝かせる"より、
このやり方は特性を追加した度に
全て特性をもう一度に統合しなければならないから
ある意味これはかなり掴み難いだが
俺はこれがキャラ作り方として結構新しいと思う。

”(欠点)特性追加”タイプの成長、
漫画にもできるなら面白いと思う。

2014/01/17

そして帰郷へ

いよいよこのシーンまでやってきた。

ちょっと気になるので調べてみた
盤古の仲間に科挙に
受かったと落ちた人数は、丁度半々くらい。

謝亨の合格は盤古に恵られてラッキーの部分は大きい。
あの実力じゃ普通は受かれない。
RPGで言えばまだレベル10~15の所に居ると思うw

逆に陶隠は合格してもおかしくないのに
盤古を庇うために落ちていた。
もう少し言えば、バランス的に陶隠はどちらでも行けそうだが
あの性格なら文挙の方が向いてるかも。
人と戦える性格じゃなければ、武挙が不利になる。

4回戦で謝亨と同じリングに立て、しかも謝亨を倒す気がない時点で
試験が半分落ちたようなもんだ。

焦猛は試験最中でガンガンでレベルアップようやく合格、
たくさん勝ってたくさん負けて両方の経験値で
強引に5つくらいレベルアップしていた感じ。

黃雷は基本的に受かるためにまだ力不足。
まあ元々盤古のサポーターとして参加したし....

元々レベルが高いの宿平と呉鎮はほぼ問題がなく
全て関門をしっかり乗り越えて見事に合格。

そして元々実力低めて伸びも悪いの趙牙と畢輔は
早々に2回戦でリタイア。

この漫画は、この辺は割りと現実的と思った。
盤古の仲間になれば主人公補正で受かりやすい....
という甘い事は無い。

公羊善の場合はちょっとレア。
あのレベルなら受かるのが厳しいけど
強敵とあんまり当たっていないからひっそり合格...の感じ。

この漫画は盤古の物語だが、
皆それぞれの試練は所々を描いてて
ヒントを拾えればそれぞれの物語を想像できる。

そしてこのシーンに全てを集めて
”人々のそれぞれ”を描いて、終わりに向かっていく。

夢見れば旅人

http://www.nicovideo.jp/watch/sm5479329

トンデケマン! 「夢見ればタイムマシン」


子供の時にらんまの音楽カセットテープにこの曲にあった。
この曲だけらんまの歌じゃないが
妙にかっこいいと思った。

そして今はどんなのアニメの曲を分かりました。
この曲はOPらしくないんだよ。EDぽい。

でも良い曲。

つまらない現実から脫出して
未知の何かがへ目指して走れている感じ。

時々そう思うんだ。
心に凄く響く曲は、力が与えてくれる。

でも、俺は曲の作者に報酬を与えない。
200円くらいなら払いたい曲はかなり多数だけど
既に古過ぎてネットで聴けても殆ど曲は買う機会がなかった。

申し訳がありませんね....

2014/01/14

1ページのズレ達

打ち合わせによる2回目のネーム修正へ。

8割程度は通じるだが
今回は1ページ単位の修正が多い。
丁寧に1つ1つ細部を仕上げていく。

内容自体はそう難しくないが、細部の変動がほとんど
1ページのズレはたくさん生まれるため
調整する所は多い。

そして盤古と倉頡のパートは
流石にそれじゃ詰めすぎて説明不足になるため
恐らく2ページくらい追加するようになる。

改めて見ると
今回のネームは週刊連載では不可能の構成であった。

週刊....というか、月刊連載でも
1回に5パートがあるの構成は結構珍しいと思う。

記憶にある限りにこういう複雑な構成は
ハカレンくらいしか見たことが無い。
銀の匙でさえ週刊連載だからもっとシンプルの方だ。

週刊連載の1話構成は
1つエピソードで構成される場合が多い。
多くても2つエピソードで対比を狙うくらい。

ああいうネームの方がシンプル。
描き手にとって描き易いのネームで
3日でネームを出来上がるのは可能であった。

今回の話は週刊2話分のページ数があるが
その上回りに5つエピソードがある。

それぞれ8ページ程度のページ数で
5つ話を1つに纏めて、バラバラせずに
1話分の物語として統一感を作り上げるのは
構成力に問われるんだ。

正直、ネームに限るだけなら難度がかなり珍しいと思う。

最後の最後でも楽なネームが来ないな。

試験後の宴会パートは今回でほとんどページがなかった。
場合によってそれがメインになるのに
ここがどうしても無理がある。

次回に回想として描けてみようか。
変則的に。ネームの魔法があってよかった。

2014/01/13

結局そのままらしい

ネームを描き直す途中。

基本的にイベント数は同じなので
多少にカットしてもそれなり細部を追加したから
結局ページ数は1回目そのまま変わらない。

盤古のセリフは1回目のネーム
倉頡と二人きり会話の場合と違って、
今回は全員の前に話せるから言える物が減っている。

ああ、そういえば盤古今回の意志は
本当に言うと全員の前にす素直に言えるものじゃないだから
今回のネームは建前のバージョンで描かないと。

呉錬パートは増やして馬賢のパートは若干減るから
そこにもプラスマイナスゼロ。

少し無理にギッチリ詰め入れれば
2ページくらい減らせる事は出来なくもないが
まあ最後だし、そしてバトルも殆どないし
2ページくらい問題が無いと思う。

2回目のネームは設定説明を半分くらい抑えてた
その分にページがキャラに回す
気持ちのフォローを補強する。

まあ、設定という事は物語に必要だが
言い出せるのは必要と限らない。

でもあった物を言えずに伝えるのはマジで難しい。
本当に言うと逆に伝えない、
その辺の機微がセンスを問われる。

見えないモノを感じるように描く。
しかし見えない物は見えないまま。
それがネームの神髓と思う。

2014/01/12

フラッシュクエストiv

http://babarageo.com/game/flashquest4.html

この明らかに手抜きさと
やっぱりそれなりに絵を描ける人だなという絶妙なバランスが好き。

割りとマジで、
キャラはこのくらいのフリーダム感じで作れるべきと思った。
デザインは丁寧すぎると、どうしても幅が狭くて枠に捕られてしまう。

描き込むは構わないけど、どんなのシリアスのゲームでも
初期階段くらい、このスタンスでやってもいいと思う。

遊び心が9分5厘で描き出せるのは大体こんな感じ。
このバランス感覚で描く訳ではないが、
良い方向性を示してくれたと思う。

ていうか、モンスターデザインの人は誰だろう。
すごく気になるんだ。


ゲーム自体は........うん、暇つぶしなら丁度いいじゃないか。

2014/01/11

元妖怪組

6人揃って変身。
元妖怪組こういう狂気と活気が妙に味があると思う。

妖怪って別に笑うタイプだけではないが
やっぱり個人的にこういう不気味な笑顔が好き。

禹殊だけは傷の痛みから生まれた妖怪だから属性は怒り。
理性が強いの薛慶は大人しそう。

他のは全部げへへへとか、ぎひひひとか
ああいう鳴き声に似合う。

全部の要素が不気味だったらキャラとして魅力が無いので
”良い所”と”悪い所”が思い切り混ざっている雰囲気が良いと思う。


”妖怪は神になる”あるいは”神が妖怪になる”
というテーマは話的に結構面白いんだ。

科挙篇では妖怪の話が最低限に抑えられたから
殆ど説明は無いが、そこがたくさん話を膨らめる素材がある。

描けなかったキャラに禹殊が一番描きたい。

一応4コマも触ったが、禹殊の子供時期まだ
足が傷が付けられたくらい軽症であった。

あそこから傷が広げていくと痛みがどんどん強くなる
妖怪になった。我慢はできるが長引くと理性が飛んで行く。

だから他のキャラと比べると妖怪に逆戻りしたくない。


そんな感じの話でハイエナも描きたかったが
まあ機会があればいつか....

それぞれある程度

ネーム打ち合わせ終了。

7割程度がいけると思ったら
そのまま使えるのは5割程度だった。

最初のパートと最後パートは大体通じる
それ以外のエピソードはある程度が直す必要がある。

まあ、この程度ならかわいいもん。

今回の問題は大体”置く位置や着地”があんまりよくない。
イベント数は普段より多い分
単独はいけでも全体的に考えたまま描けるほど単純じゃない。

やった!という喜ぶイベントも、さよならという離別イベントも
それぞれ3つくらいはあるから、1話に何回も喜ぶと何回も泣くと
読むとしつこいを感じるだろう。

そのバラバラさを整合する必要がある。
1回で喜ぶと済む話なら2回も喜ぶな、という意味。
まあそれは分かるけど
今回のネームは結構複雑なのでおれ一人でやり切れない。

昔に描いてた練習作にエピローグの後日談では
1キャラは1話(12ページ)を振り分けた、
そして描き切れるまで続けれるから構成的な意味がシンプル。

比べて今回は1話で7人も8人も一気に処理しなければならない
だからそんなに簡単じゃない。

それに例の順番の入れ替わりもあったし。
しかし修正は全体的にそれほど難しくない。
大体予想が付く。

今日はしっかり寝て、明日に考えます。

2014/01/09

全体の形を


コマ割とセリフだけのネームは描きました。
ネタバレ防止するために、このセリフ無しページを選んだが
とりあえずこんなの風。

今までもこんな感じで15ページくらい描いてたが
丸々1回がこんなネームを描けた。

コマ割とセリフだけ。
セリフがないコマはそこに居るキャラは誰くらい書く。

....ちょっと面白い。
打ち合わせにこんなのネームは使えないが
少なくでも作家自分読むとしてこんなの描き方は成立できる。

絵は描かなくでも頭に一応にあるという。
まあ時間長引くと忘れるが数週くらい大丈夫でしょう。

30ページ以上はこんな風で描くのは初めて。
こんなの風で描けるならネーム全体の形を把握できる
修正も簡単だし(←これ重要)。

いつか自由に応用できるようにの描き方かも知れない。

天空の塔

http://www.nicovideo.jp/watch/sm13084123

天空の塔【ポケダン青】

このゲームの音楽は妙にポケモンらしくないよね。
いや何となく。

とにかく好きだ。
このなんとなく寂しくてそして遠くて。

誰も居ないけど
空間は果てし無く広く、時間が果てし無く長く雰囲気を
伝えてくる。

2014/01/07

伏線大回収

ネーム進行中。
予想と反して割りとスラスラ描ける。

ページ数も予想に怖いほどに多い訳でもなさそう。
少なくでも40ページオーバーの可能性が無い。

だが猛烈な勢いで伏線を回収する一回だった。
ここまでハイテンポなら清々しい。

もっとメチャクチャでモヤモヤする雰囲気と思ったが
描き出せると意外にスッキリする。

まあある意味答えを”放出”するの段階なので
謎を描く時と違って、ワザとらしいに雰囲気を煽らなくでも良い。

でもまだ半分も終わっていないので
まだまだ全体像を決めていない。

じっくりに行こう。

その時のワクワク


『思い出せ!あの日の感動』という話。

ああ懐かしいな。

よく考えたら作家の仕事の1つは”新しいの体験を拾う”から
こういう悩むはそれほどが無いけど、
時々、周りの人がそういう風に感じさせる。

まあ流石に大人だからイチイチ漫画を読むくらい
初めての感動は無いけど。

飽きた音楽を聴くとか飽きた飯を食うとかそんなの事もよくある。
子供と比べると体験済みの事が圧倒的に多い。

それでも
感動は自分の気持ちを整えて出会えていくもんだと思います。

いつのまに大人になったら感動なんて求めていないから
手に入らない。

ええ、仕事が始まったら”初々しい”状態なんていられない
そんなの態度は子供ぽい。出来るだけ立派な一人前になれよう。
感動より成功が欲しい。感動より金が欲しい。

だったら当然、大人はその感覚は忘れていくだろうな。

2014/01/06

ラーメン発見伝

ラーメン発見伝を読みました。

芹沢達也というキャラはよかった。
悪役だがライバルも兼ねるの上に師匠のポジションでもあり
主人公に良いタイミングで良い課題を与える。
レベルに応じてテーマを与えて成長させる事に良い味が出る。

ある事件以降、客の舌を信じなくなる。疑心暗鬼になる。
しかしその分に主人公に”理想”を托付して、
客を信じるまま純粋の心を持ちながら実力を上げたい
こういう所は凄く好感を持つ。

自分もう純粋に居られないが
それでも自分より若い後輩に自分と同じ痛みを味わえないため
敢えて嫌われ役をやっていた。

よく考えたら現実に珍しくないタイプだが
漫画ではこんなの悪役は初めて見た。


上司の四谷も良いキャラ。
直接にラーメンを作る事と関わらないが
事務的にフォローは上手、良い大人と良い上司という形を見せました。

まあ物語の構造によって出番はあんまりないけど。

2014/01/05

コストパフォーマンス

http://www.proseed.co.jp/casestudy/000147.html

知り合いは仕事の伸び悪さを悩んでる、
そこには何となく思いつけた事を話す。
例えば自分作品のブランドを考えながら連載を立てとか。

そこに返事したのは、あそこも駄目だったり
あそこで描いてるのは不安があったり
やっぱりそこで売れそうな雰囲気がないとか。

要するに、連載を立てても自分でやりたい作品で
売れる可能性は見えない訳。

........いやそんなもんは元々ないだろう。
作品売れるかどうかそんな簡単に分かるもんか。
ましてまだ1ページも描いていない、形すら決めてない作品で。


ちょっと別の話ぽいだが
コストパフォーマンスが悪い人はたくさん見た。

簡単で言えば同じ時間と同じ資源で
どうしても比べて低い成果しか出来ない話。

高級品ほどコストパフォーマンスが悪い。
値段が安くほど少ない手順で少ない原料で多い製品を作る。
それは製品の特性の一つ。

だが、だからと言って高級品が作りたいから
コスパが悪くても良いと言えない。

高級品を作る前に、廉価な物を作れるのは前提である。
これは真理と思う。

じっくり基本の何かがを作り切れる。
そこから始まらないと何も作れない。

一攫千金の甘い話のために万金を使った。
そんなのは話にならん。

こういう仕事を就く人は大体夢を追いかけるタイプ
そして大体夢を追う人は支出の細部を甘く見る。

つまりコストパフォーマンス管理は下手という。
こういう人は大勢に居る。

支出を抑えろと言わないが、支出には相応なリターン
という計算を計画に組み込まれないと。

それすら出来ない人は
単純に”儲けたい”人に負けるんだよ。


連載のプランは必ずいつも考えてる。
いつもすぐに作品を立て上げるように準備している。

”何かがやりたいけど、その何かが浮かんでいない”
そのやりたい事の無さこそ究極な無駄。

そんなに極端な話しなくでもさ
1ヶ月は30ページの1作品を立て上げる人と
1年しか30ページ描けない人

質を上げるためにじっくり描く、そんなの考え方が通じるなら
一番売れないのは週刊連載の作品になるんだ。

その前に、1年をかけて1ヶ月分しか働けない人は
自分の食費すら足りないんだよ。

そんなの基本の前提ですら出来ないなら
社会人失格の以前に少年すら負けるんだ。
アルバイトで自分の食費を稼げるのは、中学生もできるんだよ。

中学生をできる事にすら負けるのは
夢を追うのは笑い話しじゃん。

百鬼夜行


http://www.comibook.com/cb5021

機甲盤古137章アップしました。

この見開きは線画段階の資料を残すため取った画像。
全部筆で書いた。

ああここが割りと難しかったー

2014/01/04

漫画は”本”じゃない

ちょっと台湾30年前の漫画を思い出して調べていた。

ここで書いた事はあくまでも個人の感想。

........多い人にとって漫画は”本”じゃない、という感じがする。
微妙な感じかもしれないけど生物学的に”本の亜種”という意味。

本の作りに関して調べた。
本を作るにああはこうするとか色々書いてたけど
”しかし漫画は含めていない”という意味が
あちこち見られる。

日本は既に漫画の市場は完成したから問題は無いが
台湾の場合は雑誌は作れない、
そして日本と同じ420円と同じ判数のコミックも作れない。

だから台湾に今の時代は”本寄りの漫画”を作るように
傾向がある。日本のコミックと区別するように。

いや別にそれは良いと思う。

アメリカコミックもBDも、日本の漫画とスタイルが違うし。

だったら問題は、どんな風に日本と違う漫画を作る話。

俺は昔に全く日本と同じ漫画を描き続けてた。

盤古だって日本と今に全く同じ文法で描かれた漫画。
面白いすれば何も問題がないと思ったが
よく考えるとそれは改めて考える価値があるのテーマと思う。

それはあくまでも”日本の漫画に慣れた読者に面白い”の作品。
特に科挙篇以降はその意味が強い。
9巻以降の展開は”ジャンプに載れても打ち切られないように”
という基準で描かれた。

実際、科挙篇以降のアンケートは概ねに上だから
それはそれで良い内容のは間違い無いと思うが
台湾で売れる漫画どうか、その意味ならまだ考える余地があるかも。

何となくあそこに微妙なズレがある感じがする。
このポイントは漫画の内容より本として形式と体裁の方
...つまり出版社にとってどんな”形”で本を作るの意味。

この数年は台湾の漫画は
日本のスタイルそのまま使えないという感想がありました。

少女マンガはギリギリ通用するが少年と青年漫画は全く通じない。
例えば日本と同じレベル漫画を作れでも
あんまり売れない作品は見た事があるから。

だからこの意味では内容のレベルと質より
読者のニーズを応じるかどうかの方が問題があるかも。

実際、色んな出版社はそれを模索しているし。

まだ考えが形になっていないが
なんとなく感じた事をそのままを書く。

シンプルに



.....ちょっと漫画の話を思い出した。

日本の児童漫画誌は何冊を買ったけど
いつもなんか変、と思った。

ここで手塚と赤松の作品を並んでみた。
感想を一言で言えば”今の漫画はなんか読みづらい”。

作画も構成も繊細になったの分、
読み手にとってハードルが高い感じがする。

10年以上も読んだ読者にとって大した問題じゃないけど
俺は小学生の頃は、高橋留美子の漫画ですら
うまく読み切れないほど感じがするんだ。

つまり漫画を読む1年目の初心者でも楽しく読める作品
今の時代は意識されていないと思う。

漫画は文化として成熟した日本ならともかく
台湾の高校生以下の読者にとって、
ハッキリ言って赤松の作品は読めないと思った。

コマに番号を付けないと読めない読者は結構居るのに。
だったらキャラはコマに居ないのにセリフが居る
こういう洗鍊された(つまりハードル高い)手法は
誰も簡単に読めると思えない。

時々居るんだよ。
”このセリフは誰言った?”という質問。

こんなに基本の問題は正確に読み切れない読者は
漫画を読むのは決して誰もできるほど簡単な事じゃない。
漫画は既にそれほど複雑な事になってしまった。

だから、シンプルに戻る必要と思う。

児童のために描かれた漫画、この時代は少ない。
しかしよく考えたら手塚が居る1960年の頃は
一番レベル良い作家は、大抵に児童漫画を描いてるんだぞ。

比べて今の児童漫画の質を考えれば
ある意味、この時代の児童漫画の読者は可哀想。
ほとんど商品宣伝のために作られた漫画しか読ませない。
ドラえもんような作品はこの時代は誰も描かせない。

少年漫画も一定の割合で難しくなった作品がある。
大人のために描かれた少年漫画が多くほど
子供は分かり易いの漫画を読む機会が少なくなった。

iPadはデジタルの本を読む?
えーと、大人ならまだ分からないが
子供にとってゲームも遊べる選択があったら
わざわざそれで本を読むと思えないんだよ。

テレビは目の前にあるのに
本を読むを選ぶ子供なんてそうそう無いと同じ。


ここにもう少し考え直す価値があると思う。
作品をシンプルに、誰も読めるように作りましょう、と。

合格者発表

http://r-2ch.com/t/whis/1298249556/
科挙の中身

さてと、いよいよ科挙の放榜回は来ました。

.......合格者発表はどんなの風景になるのは資料が少ない。
まあ最後の科挙は100年前の昔話だし。
写真は無いでも仕方ない。

というか、まだ100年前の話と思うたら
それほど遠い昔わけでもないだよね。

極端的な話では、合格者は恐らくもう一人も居ないが
見た事がある人まだ居るかもしれない。
それほどの伝説な話ではない。

殿試は元々全員合格ようなものだし、
だから祝いの部分が多きめと思う。宴会は行うし。

しかし今回の話はメインがそこじゃない。
悪役の行方がポイントだから
宴会なんてページはかかれない......

盤古の立場からすればそれほど素直に喜べる結果でもないし
喜ぶというより”まず一安心”、という気持ちの方に近いでしょう。

盤古の気持ちはちょっと複雑と思う。辛気臭いかも。
悪役と殆ど絡んだ上に、悪役の気持ちまで理解したから
罪に罰を与えた事が決して嬉しい気分じゃない。


この意味では比べて単純な魯泉の視点は大団円に見える
殆ど悪役や悪意はそれほど意識していない。

呉錬や霍安の陰謀はほぼ知らないまま
物語の最後まで来ました、馬賢だって完全に和解したし
知り合いも殆ど合格したし、盤古も無事に無罪になったし
自分は最後まで役に立ったし、しっかりに成長したし
魯泉にとって素直に喜べる所が多い。

盤古は成長の苦しみを知ったら
魯泉は成長の喜びを知ったような。
でも苦しみは意味があった。二人はそれぞれの糧をもらえた訳。

正直、2巻辺りまで魯泉と盤古のキャラは被る所が多い
だから設定を追加して二人の性格を出来るだけ
離れようとした。まさかこんなの風になるとは...

138章は盤古の視点
だから最終回の話は魯泉の視点で描くと思う。

あとあと、彼女まで出来た魯泉は通信を始まります。
そこは微笑ましいの手紙を読めると思う。

1千文字を習った所で手紙まで書けるかどうか分からないけど
1話目の魯泉は20文字くらいしか読めないため
そこにはこの物語の原点テーマを見せる。

科挙の試験内容は
2回戦は”試験生自分はどんなの字を問う”
3回戦は”字と字の合わせて言葉になる”
4回戦は”言葉と言葉を交わして句になる”
そして殿試の内容じゃ”句と句を織れて文章になる”

字を始めて、文章になる。
人も、一人から始めて群になる。

そして今回ではそれがそろそろ完成した。
たくさん想いも終わりに近くに。

2014/01/02

出来るだけ早めにキャラを揃って

サンデーのNOBELU -演-

気になる所があって
思い出して1話目の話をもう一度読みました。

それほど目立たないが
1話目の時点で主人公ノベルと彼の母、
星明ヒバリ、堤健太、田中純也、雫石ミコ
そしてノベルの別人格まで7人くらいキャラを立たせた。

一応その他のキャラもこの時点で大体出ました。

63ページがあるとはいえ
連載1話目で7人ほどキャラを動かせるのはかなり凄い。
誰が誰だけではなく、与えられた役割で機能している所は凄い。

話はそれほど好みじゃないだから気付けなかったが
無理が無く、1話目だけで7人に覚えさせた。
ネームの意味ではレベルが高い。

流石にTVドラマの脚本を手がけてきた野島伸司。
確かに漫画連載の場合に1話目で7人も立たせるのは難しいが
TVドラマならそれくらい普通にできるだよね。

その概念に活用して漫画連載に珍しいスタイルで上手くやった。
ある意味に勉強になりました。

漫画連載はできるだけ早めにキャラを揃う事が
非常に重要な事である。

キャラの掛け合うは面白さに直結する。
ネームが下手な作家はキャラを立たせるまでページかかる
メインキャラ数は少なすぎると魅力を感じさせない所が多い。

普通の編集は”できるだけ展開に早い”と言う所があるが
それは間違いないが、その言葉の本質は
”キャラの位置と役割を早めに配置完成させて
キャラを動かせよう、行動を掛け合えよう”の意味なんだ。

特に週刊連載の場合が大きい。

1話目は主人公だけ立たせた連載はたくさんにあった。
それは王道だが、基本的に2人のキャラまでは
少年漫画の連載にとって物足りない。

3人目が機能が始める所から作品として
勝負のスタートがやっと始めると思う。

2014/01/01

野味雜煮

コーナー的な。

動物占卜(同樂性質單元一人吃兩人補

世界性的動物/獸人作品介紹(漫畫/小說/遊戲都好

投稿廣場(漫畫

スペシャルゲスト作家とか

絵とセリフの時間差

ここの”被害者の返り血がな”というセリフは
ちょっと魔法をかかっている。

警察の調べは
現実ならこのセリフが”言い終わった後”で行うはずだけど、
ここが”セリフを言う最中”でやっている。

これはネームの不文律の1つと思う。

セリフと絵は時間差があっても成立できる。
漫画殆ど場合はセリフと絵が同じ瞬間で描かれるけど
特殊の場合はセリフと絵が数秒くらいズレがある。

キャラのセリフは、人の言葉だけではなく
さらに上にボイスオーバーという存在も兼ねる
こういう場合は少しだけ次元になるかもしれない。

なぜこういう不思議な事が成立できるのは分からないけど
演劇はこういう感じのも有りと思うので
これは現実ではなくあくまでもドラマだから
演出効果の1つとして認識されるかな。